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新海誠 最新作「天気の子」ストーリーネタバレ&考察 レビュー

新海誠 最新作 「天気の子」

皆さんはご覧になりましたか?

話題作を、ネタバレ込みの考察をしたいと思います。

 

◯目次

天気の子とは

 

世界的アニメーション監督、新開誠の最新作です。

前作君の名は。から3年ぶり、

7作目の劇場用アニメーション映画。

音楽は前作に引き続きRADWIMPSが担当。

制作プロデュース

STORY.inc

「天気の子」製作委員会

JR東日本企画, voque ting, ローソンエンターテイメント

 

主な登場人物

クリックで説明表示します。主にネタバレ。

各場面・アイテム考察

青い雫のチョーカー

劇中、ずっと陽菜は雫のチョーカーを身に着けています。

これは導入にて、母親がつけていたブレスレットから、

母親の形見だと推測されます。

母親が亡くなる直前、

母親と晴れ空の下を歩きたいと願い巫女になります。

終盤チョーカーが外れる場面があり、

天気の巫女の運命・呪縛から解放されたという事ではないでしょうか。

神が陽菜に足したモノが無くなった、と。

 

大人と子ども、須賀と帆高の比較

須賀と帆高の境遇は似ているようです。

どちらも家出をしていたり、忘れられない女性がいたり。

なおかつその女性が居なくなってしまっていたり。

その中で、須賀は清く正しい大人、

帆高は純真な子どもとして対比されているように思います。

どちらが正解とかでははなく、ただ、対比。

私たちの内、ほとんどは須賀のように正しい大人になっていて、

からしがらみも無く好きな人をまっすぐ追いかける帆高が眩しい。

更に

眩しさを疎ましく思うリーゼントの警察官や、

真っ直ぐ人を思う気持ちすら忘れてしまう年上の警察官も

対比されているように思いました。

 

須賀は陽菜が本当に天気の巫女だとわかっているのか。

そんな訳はない、科学現象をわかっていてオカルトライターをしている須賀。

晴れまが広がった時、娘の声を聞いてひなが消えたことを察しただろうか、

また帆高を止めるシーンがその後にある事から、

陽菜が消えて世界が晴れたとき、

人柱がいて世界が晴れるならその方が良いという気持ちはそのままだったろうと思う。

 エンディングでは、世界が変わったとしても元から狂っていると言う。

帆高を信じ、世界を変えてしまったのが彼ら二人だと知ったうえで赦している、

という解釈が美しいと思う。

 

なぜ夏美は天気の巫女が人柱だという話を陽菜にしたのか。

帆高が夢中な少女がいて、話をする。

「巫女が異常気象を止めたら人柱になって消えてしまう。」

これが事実だとすると、

黙っていることで、少女に選択権はなくなってしまう。

自分が隠さなければ少女は選ぶことができる。

(とはいえ異常気象と自分一人を天秤にかける選択を迫ることが酷なのも理解しているだろうが)

選択肢を与えず夏美が抱えるには重すぎたのだろう。

 

陽菜が消えたのは陽菜の選択か

また、自分が消えるだけで晴れを喜んでいた人たちがまたその幸せを甘受できるというのは、自分が消えることが世界の幸せだという事柄は、15歳の少女に選択させるにはあまりに残酷だ。

帆高に晴れてほしいかを聞いて、その答えがトリガーになったに違いないとは思う。

しかし消えてしまうのはひなの選択か?

空に来てしまい泣いているシーンや、突風のシーンと合わせて考えると

イムリミットだったのではないかと考えられる。

突風のシーンのようにいかなかったのは、人柱にならず異常気象のなか地上に居て良いのか悩んでしまったからではないか? 

 

バイクで現れる夏美

圭介が帆高を追い出したという話の時に、ダサいとなじると、

おまえもダサいだろうといわれる。

夏美も、帆高の為に何かできたわけでもなく、

人柱になるという残酷な話を陽菜に伝えたことなど

ダサさを自覚してそこから脱却したかったのではないだろうか。

 

空の上、魚が取り巻くシーン

魚が渦巻いている状態は天気の巫女が最後人柱となったあと、魚に、空の生き物に、空に、同化することを表しているのではないだろうか。実際昔は各村にいたと言う巫女が広大な空に一人もいないというのは。

そしてひなの周りには魚が渦巻いた状態は、穂高が来ると魚は消え、ひなの身体は透明ではなくなる。

 

16歳の少年の選択 世界か、好きな人か

陽菜に課せられた残酷な選択肢に対し、帆高は最終的な選択をしたわけだが、

雨ばかりの世界と、好きな人がいない状態と両方を経験した上での選択ができた。

だからこそ帆高は陽菜のいる世界なら大丈夫だ、と確信を持てるのだと思う。

 

「僕たちは大丈夫だ」

エンディングの帆高のセリフです。

帆高は、雨が降り続ける世界で

自分たちだけが知っている、世界を変えてしまった事実を抱えている。

それでもなお、陽菜が居る世界ならそれで大丈夫だと意か?

 

エンディング

この作品中ずっと人の視線では、

「晴れは素晴らしい」「雨が降り続ける状態は異常」というスタンスだ。

主人公たち以外の視点からは

一人の人間の犠牲か、雨が降り続ける世界か。

須賀さんの考えのように、人柱を選択することがハッピーエンドに思える。

世界の間違った形を選択してしまうことは、正しいことではないから。

 

しかし3年以上雨が振り続けている世界で、

雨の中ではしゃぐ子供たちや、

「お花見楽しみだね」と言った声が聞かれる。

 

これは人間は慣れる生き物で、

雨が降り続ける世界、晴れない世界を選択したことが

完全な悪ではないことを伝えているのだろうか。